2011年 05月 23日
ブルックナー 版問題と交響曲第8番第1稿の魅力
え~今回はちょっとマニアックな話題です(笑)
巷間、ブルックナーの最大傑作と呼ばれる交響曲第8番には2つのヴァージョンがあります。1887年に作曲された「第1稿」と1890年に作曲された「第2稿」です。良く演奏されるのは第2稿の方で、複雑な話になってしまうのですが、第2稿には所謂「ハース版」と「ノヴァーク版」があります。ここらへんの版問題の複雑さがブルックナーの音楽に対するある種のとっつきにくさを感じさせているのだと思います。初めてブルックナーを聴こうという人がCDを買い求める時に、交響曲第○番に「○×版」とか「×○版」なんていうのがあったりしたらどちらを買って良いのか悩んでしまうでしょう。私自身、初めてブルックナーのCDを購入する際に悩んでしまいましたし、ブルックナーの交響曲には同じ番号で違う曲が存在する、なんて今から思えばアホみたいな勘違いをしていました(笑)今回は、複雑怪奇になってしまっているブルックナーの「版問題」と交響曲第8番第1稿の魅力について少し簡単に書いてみたいと思います。
アントン・ブルックナー(1824~1896)は交響曲第7番の成功により、更なる大作に取り掛かります。それが交響曲第8番「第1稿」として結実します。しかし、自信満々に書き上げられた交響曲は当時のブルックナーの支持者や弟子を自認する指揮者達から完全に拒絶されてしまいます(理由は後述)。ブルックナーの落胆ぶりは相当なものだったそうですが、そんなことで挫ける人ではありません。「第1稿」からテーマ等を引き継ぎ、全く別物と言って良い「第2稿」を書き上げたのです。この第2稿の初演はハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で行われ大成功を収めました。この成功によりブルックナーは交響曲作曲家としての栄誉を得ることになります。
ブルックナーの交響曲第8番と言えば、一般的にはこの「第2稿」を指して言います。ただし、この「第2稿」にも後年ブルックナーの弟子たちが師匠に断りなく改変を入れ、それが広く流布されることになります。当時はベートーヴェンの交響曲にさえもオーケストレーションに手を入れ、それで演奏するのが当たり前になっていたのです。19世紀末は楽器の性能も上がり、ベートーヴェンが生きていた頃よりも格段に表現の幅が広がっていました。そこで「ベートーヴェンはきっとこうしたかったに違いない」と言う思い込みと、ワーグナーやマーラー、R・シュトラウスと言ったカラフルで部厚いオーケストレーションが持て囃されていた時代ということもあって、改変した楽譜で演奏することがある種の流行のようになっていたのです。当時から20世紀半ばぐらいまではベートーヴェンを原典のまま演奏するのは素人の仕事、という雰囲気があったようです。
そういう流れの中、部厚くはあるが色彩感の乏しいブルックナーのオーケストレーションは格好の改変の材料と言えたかも知れません。当時のブルックナーの弟子たちにとっては師匠の交響曲を少しでも聴きやすく、聴衆により良く理解して貰えるように協力(改変)した、という認識だったのだと思います。こうして出来上がった楽譜が所謂「改定版」です。
この「改定版」はブルックナーが書いた他の交響曲でも作られました。3番、4番、5番、8番、9番等は今でもクナッパーツブッシュ指揮の演奏をCD等で耳にすることが出来ます。
そんな流れの中、1932年にアルフレート・オーレルが校訂した原典版交響曲第9番の演奏がミュンヘンで行われます。この演奏会では改訂版と比較演奏され、ブルックナーの真筆(とされるもの)が如何に優れていたかが実証されます。それからと言うもの、ロベルト・ハースを中心とする音楽学者が各交響曲の校訂に取り組みブルックナーの真実の姿を世に提示して行くことになります。これが「ハース版」(旧全集)と呼ばれるものです。
ところが、ハースの校訂には少し問題がありました。例えば7番などは改定版などから取り入れられた箇所があり、また8番においても第1稿から部分的に引用されたところなどがあって、その校訂は必ずしも正確なものだとは言えなかったのです。またハースはナチスのメンバーだったということもあり、戦後、ブルックナーの校訂作業からは外される結果となります。こうしてハース版を批判的に捉えたレオポルド・ノヴァークが新全集の校訂に当たり、所謂「ノヴァーク版」(新全集)を刊行します。
実はこの校訂作業というのは今でも続いており、ウィリアム・キャラガンをはじめとする複数の音楽学者がブルックナーの真実の姿を追い求めているのです。個人的にはもうええやんけ、と思わなくもないのですが、まあどこの世界でも学者さんの探究心というのは止まる所を知らないものなんですね(笑)
ノヴァークの最大の功績はブルックナーが書き残した楽譜を可能な限り手を加えず、そのまま出版したことだと思います。ブルックナーには自身が書いた曲を後年何度も加筆訂正する癖(この改定癖が版問題を複雑怪奇にしているのですが)があったようで、ひとつの交響曲に複数の楽譜が残されています。簡単に上げると交響曲第1番には「リンツ稿」と「ウィーン稿」と呼ばれるものがあります。第3交響曲には第1稿、第2稿、第3稿と三つの版が存在していますし、先述した交響曲第8番には第1稿と第2稿があります。こうやって書いていてもワケワカランチンで、もうええ加減にせえやと腹立たしくなりそうです(笑)
かなり細部を端折っていますが、斯様にブルックナーの版問題は複雑です。先述したように一般的に舞台に掛けられるのは後年作曲された第2稿の場合が多いのですが、最近では第1稿を使用しての演奏やレコーディングの数が増え、ブルックナーファンにとっては喜ばしい限りです。今回はそんな中から交響曲第8番の第1稿を紹介したいと思います。
先述したように交響曲第8番の第1稿はブルックナーの支持者たちから総スカンを喰らわされます。これは優美な第7交響曲に対し、まるで巨大な岩塊を投げつけてくるような壮大な響きを前面に押したて、ぐねぐねとノタウチまわるような進行の音楽に誰も理解を示すことが出来なかったからです。また当時のオーケストラでは演奏が非常に困難だったそうです。現代の私たちが聴いてもなんじゃこりゃ?と思わせられるところが沢山あるように思います。
ブルックナーの音楽の最大の特徴は常に声部が三声あるところなんですが、これはどういうことかと言うと、ブルックナーの頭の中にはパイプオルガンが存在し、その発想の元に作曲を行っているのです。ご存知の通り、パイプオルガンは両手と足を使います。長年教会や宮廷オルガニストとして演奏活動に従事していたブルックナーにとってはパイプオルガンは最も慣れ親しんだ楽器なのです。因みにピアノ発想で作曲をする場合は両手しかありませんから通常声部は二声です(かなり乱暴な括り方ですが…)
ブルックナーの交響曲にはパイプオルガンの響きを連想させるものが少なくありません。そういうブルックナーの特徴を最大限前面に押し出したのが第8交響曲第1稿と言える訳ですが、曲は非常に荒削りに聴こえます。響きを整理し、洗練された第2稿と比べると、まるで原石を磨き上げる前のゴツゴツとした感触があります。決して耳当たりの良い曲ではありません。ですが何と言えば良いでしょう?そのゴツゴツした響きの中に譬えようの無い美しさと敬虔な祈りのようなものを感じるのです。ある意味第2稿は人為的な美しさに彩られていますが、第1稿はあくまで自然な響きと色彩感に満ちているかのように思えるのです。このように思えた時、第1稿は大自然の鳴動をそのまま音楽にした無常の美しさに満ちているかのように感じられるのです。
20年ほど前からこの第1稿はレコードやCDに録音されて来ました。古くはインバル/フランクフルト放送響などがありますが、私見ですが演奏の質自体はあまり良いとは思いません。第1稿を録音し世に広く問うた、という意味では高く評価されてしかるべきですが、演奏そのものはおっかなびっくりなんとか音にしている、と言った感じで演奏の良し悪しを云々出来るレベルのものではないと思います。近年録音された、ゲオルグ・ティントナー/アイルランド国立交響楽団(1996年)やシモーネ・ヤング/ハンブルグ・フィル(2008年)のものは、随分とこなれた演奏を展開し、音楽的にも充分満足出来る美しい演奏になっていると思います。
この曲はお世辞にも万人向けとは思えませんが、ご興味のある方は一度聴いてみて下さい。
<参考CD>
ブルックナー 交響曲第8番第1稿
ゲオルグ・ティントナー指揮 アイルランド国立交響楽団
録音:1996年9月23-25日 ダブリン国立コンサートホール
NAXOS 8554215-16
シモーネ・ヤング指揮 ハンブルグ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2008年12月14-15日 ハンブルグ・ライスハレ(ライブ録音)
OEHMS CLASSICS OC638
巷間、ブルックナーの最大傑作と呼ばれる交響曲第8番には2つのヴァージョンがあります。1887年に作曲された「第1稿」と1890年に作曲された「第2稿」です。良く演奏されるのは第2稿の方で、複雑な話になってしまうのですが、第2稿には所謂「ハース版」と「ノヴァーク版」があります。ここらへんの版問題の複雑さがブルックナーの音楽に対するある種のとっつきにくさを感じさせているのだと思います。初めてブルックナーを聴こうという人がCDを買い求める時に、交響曲第○番に「○×版」とか「×○版」なんていうのがあったりしたらどちらを買って良いのか悩んでしまうでしょう。私自身、初めてブルックナーのCDを購入する際に悩んでしまいましたし、ブルックナーの交響曲には同じ番号で違う曲が存在する、なんて今から思えばアホみたいな勘違いをしていました(笑)今回は、複雑怪奇になってしまっているブルックナーの「版問題」と交響曲第8番第1稿の魅力について少し簡単に書いてみたいと思います。
アントン・ブルックナー(1824~1896)は交響曲第7番の成功により、更なる大作に取り掛かります。それが交響曲第8番「第1稿」として結実します。しかし、自信満々に書き上げられた交響曲は当時のブルックナーの支持者や弟子を自認する指揮者達から完全に拒絶されてしまいます(理由は後述)。ブルックナーの落胆ぶりは相当なものだったそうですが、そんなことで挫ける人ではありません。「第1稿」からテーマ等を引き継ぎ、全く別物と言って良い「第2稿」を書き上げたのです。この第2稿の初演はハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で行われ大成功を収めました。この成功によりブルックナーは交響曲作曲家としての栄誉を得ることになります。
ブルックナーの交響曲第8番と言えば、一般的にはこの「第2稿」を指して言います。ただし、この「第2稿」にも後年ブルックナーの弟子たちが師匠に断りなく改変を入れ、それが広く流布されることになります。当時はベートーヴェンの交響曲にさえもオーケストレーションに手を入れ、それで演奏するのが当たり前になっていたのです。19世紀末は楽器の性能も上がり、ベートーヴェンが生きていた頃よりも格段に表現の幅が広がっていました。そこで「ベートーヴェンはきっとこうしたかったに違いない」と言う思い込みと、ワーグナーやマーラー、R・シュトラウスと言ったカラフルで部厚いオーケストレーションが持て囃されていた時代ということもあって、改変した楽譜で演奏することがある種の流行のようになっていたのです。当時から20世紀半ばぐらいまではベートーヴェンを原典のまま演奏するのは素人の仕事、という雰囲気があったようです。
そういう流れの中、部厚くはあるが色彩感の乏しいブルックナーのオーケストレーションは格好の改変の材料と言えたかも知れません。当時のブルックナーの弟子たちにとっては師匠の交響曲を少しでも聴きやすく、聴衆により良く理解して貰えるように協力(改変)した、という認識だったのだと思います。こうして出来上がった楽譜が所謂「改定版」です。
この「改定版」はブルックナーが書いた他の交響曲でも作られました。3番、4番、5番、8番、9番等は今でもクナッパーツブッシュ指揮の演奏をCD等で耳にすることが出来ます。
そんな流れの中、1932年にアルフレート・オーレルが校訂した原典版交響曲第9番の演奏がミュンヘンで行われます。この演奏会では改訂版と比較演奏され、ブルックナーの真筆(とされるもの)が如何に優れていたかが実証されます。それからと言うもの、ロベルト・ハースを中心とする音楽学者が各交響曲の校訂に取り組みブルックナーの真実の姿を世に提示して行くことになります。これが「ハース版」(旧全集)と呼ばれるものです。
ところが、ハースの校訂には少し問題がありました。例えば7番などは改定版などから取り入れられた箇所があり、また8番においても第1稿から部分的に引用されたところなどがあって、その校訂は必ずしも正確なものだとは言えなかったのです。またハースはナチスのメンバーだったということもあり、戦後、ブルックナーの校訂作業からは外される結果となります。こうしてハース版を批判的に捉えたレオポルド・ノヴァークが新全集の校訂に当たり、所謂「ノヴァーク版」(新全集)を刊行します。
実はこの校訂作業というのは今でも続いており、ウィリアム・キャラガンをはじめとする複数の音楽学者がブルックナーの真実の姿を追い求めているのです。個人的にはもうええやんけ、と思わなくもないのですが、まあどこの世界でも学者さんの探究心というのは止まる所を知らないものなんですね(笑)
ノヴァークの最大の功績はブルックナーが書き残した楽譜を可能な限り手を加えず、そのまま出版したことだと思います。ブルックナーには自身が書いた曲を後年何度も加筆訂正する癖(この改定癖が版問題を複雑怪奇にしているのですが)があったようで、ひとつの交響曲に複数の楽譜が残されています。簡単に上げると交響曲第1番には「リンツ稿」と「ウィーン稿」と呼ばれるものがあります。第3交響曲には第1稿、第2稿、第3稿と三つの版が存在していますし、先述した交響曲第8番には第1稿と第2稿があります。こうやって書いていてもワケワカランチンで、もうええ加減にせえやと腹立たしくなりそうです(笑)
かなり細部を端折っていますが、斯様にブルックナーの版問題は複雑です。先述したように一般的に舞台に掛けられるのは後年作曲された第2稿の場合が多いのですが、最近では第1稿を使用しての演奏やレコーディングの数が増え、ブルックナーファンにとっては喜ばしい限りです。今回はそんな中から交響曲第8番の第1稿を紹介したいと思います。
先述したように交響曲第8番の第1稿はブルックナーの支持者たちから総スカンを喰らわされます。これは優美な第7交響曲に対し、まるで巨大な岩塊を投げつけてくるような壮大な響きを前面に押したて、ぐねぐねとノタウチまわるような進行の音楽に誰も理解を示すことが出来なかったからです。また当時のオーケストラでは演奏が非常に困難だったそうです。現代の私たちが聴いてもなんじゃこりゃ?と思わせられるところが沢山あるように思います。
ブルックナーの音楽の最大の特徴は常に声部が三声あるところなんですが、これはどういうことかと言うと、ブルックナーの頭の中にはパイプオルガンが存在し、その発想の元に作曲を行っているのです。ご存知の通り、パイプオルガンは両手と足を使います。長年教会や宮廷オルガニストとして演奏活動に従事していたブルックナーにとってはパイプオルガンは最も慣れ親しんだ楽器なのです。因みにピアノ発想で作曲をする場合は両手しかありませんから通常声部は二声です(かなり乱暴な括り方ですが…)
ブルックナーの交響曲にはパイプオルガンの響きを連想させるものが少なくありません。そういうブルックナーの特徴を最大限前面に押し出したのが第8交響曲第1稿と言える訳ですが、曲は非常に荒削りに聴こえます。響きを整理し、洗練された第2稿と比べると、まるで原石を磨き上げる前のゴツゴツとした感触があります。決して耳当たりの良い曲ではありません。ですが何と言えば良いでしょう?そのゴツゴツした響きの中に譬えようの無い美しさと敬虔な祈りのようなものを感じるのです。ある意味第2稿は人為的な美しさに彩られていますが、第1稿はあくまで自然な響きと色彩感に満ちているかのように思えるのです。このように思えた時、第1稿は大自然の鳴動をそのまま音楽にした無常の美しさに満ちているかのように感じられるのです。
20年ほど前からこの第1稿はレコードやCDに録音されて来ました。古くはインバル/フランクフルト放送響などがありますが、私見ですが演奏の質自体はあまり良いとは思いません。第1稿を録音し世に広く問うた、という意味では高く評価されてしかるべきですが、演奏そのものはおっかなびっくりなんとか音にしている、と言った感じで演奏の良し悪しを云々出来るレベルのものではないと思います。近年録音された、ゲオルグ・ティントナー/アイルランド国立交響楽団(1996年)やシモーネ・ヤング/ハンブルグ・フィル(2008年)のものは、随分とこなれた演奏を展開し、音楽的にも充分満足出来る美しい演奏になっていると思います。
この曲はお世辞にも万人向けとは思えませんが、ご興味のある方は一度聴いてみて下さい。
<参考CD>
ブルックナー 交響曲第8番第1稿
ゲオルグ・ティントナー指揮 アイルランド国立交響楽団
録音:1996年9月23-25日 ダブリン国立コンサートホール
NAXOS 8554215-16
シモーネ・ヤング指揮 ハンブルグ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:2008年12月14-15日 ハンブルグ・ライスハレ(ライブ録音)
OEHMS CLASSICS OC638
by score1204
| 2011-05-23 23:17
| CD(クラシック)

